寄る年波と共に記憶力が落ちていくので、今現在記憶している過去の思い出を書き連ねておく。
何日か前に書いた近田さんの話だが、音楽ではなく、市井の大半の人の彼のイメージであるラジオの話だ。
元より夜に強いほうではなかった為、オールナイトニッポンは一度も聴いたことが無い。
が、そのオールナイトニッポンの評判を聞き、後に始まった文化放送かどこかでの深夜放送を頑張って起きて聴いていた。
氏によると、オールナイトとは異なり、あまりやる気も無く惰性でやっていたようなのだが、それでも凄かった。
なにせ、カフがほとんど上がりっぱなし。
つまり、曲が流れていても構わず、この管の鳴り方が良いんですよねーとか、ギターにファズが効ききすぎじゃない?とかずっとお喋りしているんですよ。
これは衝撃でしかなかった。
昔のラジオDJと言えば、その名前の示すとおり、自分でレコード(ディスク)を選曲し、さらにプレイヤーも操作していたらしいが、当時はそのDJからパーソナリティへの移行期で、ほとんどが喋り主体で、曲はスタッフが用意したものを何の思い入れも無く流すだけのスタイルになっていたはず。
その中、自分で選曲し、かつ流しながら当該曲に注釈を入れるというスタイルは頭をハンマーで叩かれたような斬新さでした。
たまにゲストも呼んでいましたが、普通のラジオ番組のゲストみたいに持ち上げず、どちらかというと下げ、おちょくり傾向だったのもスリルがあったな。
当時、氏はポストパンク系のロックバンドを総じてGSみたいなもんと一刀両断にしていたのですが、陰で言うだけではなく実際に何組ものバンドを呼んで、キミたちのやっているのってGSみたいなもんでしょ?って、あのC調な感じで片っ端から問い詰めていくのは、もうドキドキを通り越して痛快だった。
その対外的なイメージからおよそ怒る事とは無縁な感じの人ですが、一度だけリスナーのハガキに激怒していたのを記憶している。
前段のようなやり取りからの派生だと思うのですが、リスナーからの「オマエにパンクの何が分かるんだ?オマエがパンクを語るな」みたいなハガキを読んだんですよね。
その時は、多少語気を荒げて、ふざけるな、日本で一番早くパンクをやったのはオレだ!と吼えていましたね。
確かに、国内でテレビで頭をツンツン立ててTシャツにレザーパンツなどの衣装で歌番組に出るのは最初だったかもしれませんからね。
名盤電撃的東京も、コンセプトは既存の歌謡曲をパンクアレンジで演奏するという単純明快なものでしたし。
当時、ハルヲフォン時代からそんなに間もないと思うのですが、ほら、そういう自称音楽通の方々って、広く浅くでは無く狭く深くで、贔屓のバンドしか聴かない傾向があるじゃない?
だからたぶん、氏のことは猥雑な口調の歌謡曲評論家、もしくは軽薄なテレビタレントとしてしかみていなかったんでしょうね。
おっと、文章が長くなってきてしまった。
自分で長い文章は嫌いだと書いておいて、長い文章を書くのはいかがなものか。
ということで、この辺で締める。