昔、近田春夫と私というサイトを石川某さんが立ち上げていましたが、自分の場合は面識も無いので一応敬称を付けさせて頂きました。
昔から気にはなる人ではあったのですが、氏の音楽というか姿勢に触れるにつれ、どんどん惹かれて行った。
長い間、何故なのか不明だったのですが、先日の氏の自叙伝を読んで気が付いた。
自分との近親性に惹かれるのかもしれない。
氏は自叙伝の中で、たまにファンの粛清を行うと称して、ザッパのように今までと全く異なる音楽性にターンすることが多いのだが、それは単に飽きるからなんだそうで。
つまり、この音を出すにはこういうギミックが必要なんだなということに気が付き、その通りの結果が出せると途端にそれがつまらなくなり、次の何か面白いものに目が行ってしまうみたいな感じでしょうか。
そこに近親性を感じる。
この感情というか性格は自分も悩んでいた。
所謂、道を究めることができない。
音楽でも以前は4TRのカセットMTRで昼夜を問わずに音で遊んでいたのだが、ある程度の技術やギミックが分かってしまうと、飽きてしまう。
ギターを弾いても一曲完コピなんてしない。
ある程度それっぽく弾けるようになると、他の曲を弾きたくなって、当該曲の練習をしなくなってしまうんだな。
アイドル雑誌を作っていたときもそう。
何が楽しいかって、まったくの門外漢である自分が、どんどんスポンジのようにDTPのスキルを身に付けていき、一般流通する100P強の冊子を一人でレイアウトしてしまうという荒業まで行き着く。
飽き足らずに毎号のように新しいスキルを駆使し誌面構成をしたりして。
だから、毎号毎号、何かしら新しい事を誌面で展開していましたね。
まあ、見ている人は○○ちゃんカワイイーの方々なんで、どこまで理解されたかは不明ですが。
あの頃は楽しかった。
しかしやはり、号数を出すうちに飽きてくるんです。
氏と自分との違い、それは才能の差です。
スキルを身につけてもセンスが無いので、出てくる結果が付いてこない。
そのうちメンタルヘルスを害しましたね。
やはり、こういう生き方は氏のような人間として元の許容量、というか排気量の大さがないと難しいのかもね。
そういう意味も兼ねて、憧れがあるのかもしれない。