自分がアイドル雑誌を作っている頃は、なにぶん動ける人間が近くに少なかった為、出来ることは可能な限り自分自身でやってきたつもりです。

100P強のグラビア中心の冊子でしたが、作業的に厳しいと感じた事は少なかったですね。

それよりも、取材日が決まらず、どんどん日程が押していって、楽々作成できるであろう工程が徹夜も辞さずにやらなければならない状況が厳しかった。

つまり、日程は押さえられているのに遊ばされている感じと言いましょうか。

数名で合議し、実際の紙面の3倍ほどの人数をリストアップし、それを編集長がまとめてキャスティングするという感じだったのですが、その通りに進んだためしが有りませんでしたね。

冊子の作成にはまず台割作りというものが基本ございます。

これは表周りから本文まで、○○に何ページ、××に何ページという構成表みたいなものですね。

それにそってページ作りをしていくわけです。

いざ台割が決まったら、モデルの手配、メイクの手配、撮影場所の選定などをします。

台割作成以降は編集長の仕事でしたね。

自分は、現場での撮影、インタビュー、そしてそれらの取材ソースを持ち帰り、画像処理に画像セレクトにレイアウトデザイン、そしてレイアウトソフトを使用しての実際のレイアウト、タイトルやキャプション決めと配置、インタビューの文字起しと編集、そして流し込み、さらのそれらの本文を構成する要素をまとめてDVDに焼いて編集長に渡すと。

ここまでやっていました。

それから、数名でゲラ校正をした後、編集長が印刷所にデータを入稿し、数日後に上がる色校正を編集長、自分、必要ならモデル事務所がし、データを本印刷に回すと、そんな感じでしたかね。

つまり、製作に関してはほぼ自分が一手に引き受けていました。

現場監督みたいなものでしょうか。

人間一人でもアイドル雑誌は作れるんだと証明してしまったと悦に入っていたのですが、昔のエロ本業界などは概してそんな感じだったらしいですね。

そういえば、自分が関わっていた当該アイドル雑誌を発行してくれていた出版社も、自分達以外はエロ本ばかりの会社だった。

伝統を継いだだけ?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です