ポストフェミニズムという言葉に惹かれて、ネットのコラムを読んでみた。

正確には途中から飛ばし飛ばしだが。

文章が長くて冗長だったもので。

最近、長い文章の読解力が落ちてきたのは脳の老化以前に堪え性の問題かもしれない。

当該コラムは報ステのCMの問題を書いたものらしいのだが、音楽好きの自分からするとポスト何某と聞くとすぐ、ポストパンクなどと想起してしまうのですが、ポストフェミニズムとは初めて聞いた。

件のCMが、報ステとしてポストフェミニズムを標榜していて良ろしくない的な文脈だったかしら。

確かにポストと書くからにはフェミニズムは過去のもので、これからその過程を通った新しい考えのようだが、そもそもフェミニズムは終わっていませんよね。

国内においては始まってもいないのかもしれません。

これは国内の男性側からの日本文化という土壌による抑圧もあったのでしょうが、大多数の国内女性側の怠慢もあるのではないかしらなんて個人的には思ってしまいます。

特に妙齢女性にそのような考えが多い気がするのは穿ちすぎでしょうか。

企業などでは少し変わってきているのかもしれませんが、国を動かす政治や官僚の世界では相変わらずなのでしょう。

でも、その際にある程度の枠を女性に与えるという行為は違うと思うし、与えられる側の当の女性に対しても「与える」なんて、それこそ失礼かと。

問題は、性別を問わず、結果を出し、活躍できる人間が正当に評価される世界、それだけだと思います。

それこそ政治などでは、未だに能力以前に血筋ですからね。

フェミニズムやジェンダーなど、彼らは理解出来ないかと。

そこらへんもなんとか手をつけて欲しいものです。

おっと話が逸れました。

つまるところ、男性でも有能な人も無能な人もいるし、女性でも同じ事である。

問題は性別は単なる区別であり、個々の能力値で評価されるべきではというのが、自分のフェミニズム感でございます。

的外れかしら。

すみません。

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