昨日は仕事終わりに心療内科へ寄って、パニック障害の薬を頂いてきた。
しかしまあ、世の中には心を病む人の多い事よ。
椅子に座れず立っている人もいたし、自分が履いたスリッパが最後のひとつだった。
パニック障害とは長い付き合いになるが、ここのところは外出時には小さな安定剤を一錠服用して出ることもあり、あまり悪さをしてこない。
一時期は、病院に自転車で向かい際、どうしても前へ進めなくなり、開店前のホームセンターの入り口の階段に数十分蹲っていたこともあったな。
確か、雪も降っていた。
あの、ここにはいられない、このままでは耐えられないという感情は何処から沸いてくるのだろう。
目に見えて分かる症状としては、震えと呼吸の乱れなのだが、別にそこだけ空気が薄いとは思えないが、やはり物理的に密閉された狭い場所は苦手だ。
思えば、随分以前に兆候は現れていたんだな。
覚えている一番古い発症は、橋本甜歌の撮影へ向かう際だから、LT3号の取材過程かしら。
光が丘公園でのロケで、通常なら車で向かうところ、車の運転が出来ずに電車とバスを乗り継いでなんとか辿りついた。
撮影はこなしたのだが、その後のインタビュー取材の際にどうしても堪らなく気分が悪い。
いや気分が悪いという表現も違うな。
そう、ここにはいられないという感情だ。
理由は分からないが、ここにいるととんでもないことになってしまうのではという恐怖感だ。
当時、個人的には被写体としては好きなタイプで、自分から推して表紙巻頭に抜擢したモデルさんでこれだから、その他は推して知るべし。
そんな想いまでして頑張って誌面にした女の子が、今現在、諸問題で世間様から叩かれているのを見るのは少々辛い気もするが。
当時の彼女は、天真爛漫を絵に書いたような魅力溢れる女の子だったんですがね。
そういえば初めての眩暈も確か取材中だった。
これは幕張での下垣真香での取材だ。
確か夏の取材で、こちらはインタビュー取材時には記憶は無いが、撮影時に太陽の眩しさと暑さで眩暈を起こした記憶がある、
そうこうしているうちに、製作方針の相違で編集長とぶつかり辞めさせてもらうのであるが、その時はまだパニック障害だと判明もしていなかった。
ただ、健康面でも金銭面でも、もう限界が近づいているのは薄々分かっていたので、あの時辞めておいたのがターニングポイントだったかも。
その後、随分してから、あまりにもおかしいので家のかかりつけ医へ行ったら、ここじゃなくてアッチへ言ってと冷たくあしらわれ、アッチである心療内科で判明した病名がパニック障害と不安神経症であった。
さて、自分、もしかして、こいつらと一生付き合っていくのであろうか。
付き合うのなら可愛いネーチャンのほうがいいのであるが。
とりあえず今はそういう事を考えずに生きている。