ギターが泣く、泣きのギター、ギターを泣かすという表現を聞いたことがあるだろうか。
まあ、音楽ファンやギター小僧の間では定番の表現方法ではあるが、ではどんなギタリストがそう呼ばれているのか。
個人的に、一番に頭に浮かぶのはサンタナですよね。
これは哀愁のヨーロッパのイメージが強いからでしょうか。
次いでゲイリー・ムーアでしょうか。
マシンガンのような無茶弾きのイメージが強い彼ですが、スローな曲やブルースなどでは大きなビブラートを活かした泣きのギターも、彼の特色のひとつかと。
ちょっと待て。
大きなビブラートと書いたが、一番に思い浮かぶサンタナはビブラートの小さいギタリストなんですよね。
泣きのギターの定義するものとしてビブラートが大きいはずとの考えがここで覆る。
そもさん、ビブラートだけで言うのであれば、アームを使ったような大きなビブラートが特徴的なポール・コゾフはそのビブラートに関しては取り上げられるが、あまり泣きのギターという表現もされていないような。
とすると、泣きのギターってなんだ?
フレージングが主体であれば、昔はドリアン一発と言われたサンタナの醸しだすメロディラインはまさに「泣き」だが。
ポール・コゾフはペンタトニック主体、ゲイリー・ムーアはもっと複雑なスケールも用いるので、ドリアン一辺倒という訳ではない。
分からなくなってきた。
何が基準なのだろう。
ここで、ブライアン・メイというギタリストを思い出した。
彼もギターを泣かすと言われるタイプのギタリストである。
彼はペンタトニック主体ではあるが、ビブラートは大きくゆったりしているほうだ。
そして何よりもタメというか弾く際の譜面には現せない、ゼロコンマ何秒遅らせたり、逆に早めて走ってみたりするのが上手なギタリストでもある。
そのため、クイーンの楽譜や教則本を見て、そのまま弾いてみても何か違う演奏になってしまうと思う。
それら諸々を総合して考えると、泣きのギターとはビブラート、スケール、それにそれだけではない何かも含めた複合的要素の成り立ちを耳で感じて、ギターが泣いていると我々は感じているのだろうか。
結論は出ないが、一応、そういうことで無理やり終わらそう。
ちなみにギター小僧が大好きなジェフ・ベックは、ギターを怒らせることにかけては天下一品であると自分は思っている。
哀しみの恋人達の、中盤から後半にかけての演奏をよく聴くと理解してくれるかと。
全然、哀しみじゃない激しさです。