さすがにアトランティスは伝説だとしても、ソドムとゴモラ、ノアの箱舟の洪水と、神の怒りに触れ、罰を受けたという事案は神話レベルでは多々あるわけです。

日本でもバチがあたるという言葉がございますが、これは罰が訛ったのでしょうかね。

子供の頃からの疑問なんですが、神様って人間に罰を与える立場ってことなんですかね。

個人的には全ての包括するような、友愛に満ちた存在であって欲しいなんていう淡い願望があるのですが。

自分の理解が正しいかどうかは不明ですが、日本の神道にあるような自然界の全てのものに神が内在し、それらに感謝をしつつ生きていくという、鰯の頭も信心から的な考えのほうが、ある意味、納得が出来たりするのですが、唯一絶対的な存在がいて、それを盲目的に崇拝するというのは、(あくまで個人的にですが)性に合いそうもございません。

神に願うという行為もイマイチ理解が出来ません。

自分の生活圏の中だけでもこれだけの人間がいるのに、日本中、いや世界中の人々の願いを叶えるなんてナンセンスですよね。

今年始め、コロナ渦の中、密を作って初詣に並んでいる信心深い方々なんて見ると、呆れるを通り越して悲しみさえ覚えた次第で、

それが唯一神なら尚更のこと。

他にも、大多数の宗教が輪廻や転生を説いていると思うのですが、これまた個人的には解せない。

これって、辛い浮世であっても、生前に徳を積んで来世に花開くみたいなイメージなんですが、自分としては、今こうして生きている瞬間が全て。

オギャーと生まれてから、棺桶に入って焼かれて埋められて全てオシマイというのが自分の考えでございます。

かといって何も投げやりに生きているわけではなく、だからこそ今日を精一杯生きようと思っております。

死んでしまったらオシマイ、生まれ変わったりなんかしないという持論なもので。

と、このようなことから無宗教なわけですわ。

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