最近はQが加わりLGBTQというわけですね。
前にも書きましたが、自分は他人の性には寛容です。
いや、寛容という言葉は少し違うな。
興味が無い。
これですね。
男色であろうがバイであろうが、百合であろうがどうでもいい。
世の中に、それらの性的少数者を差別し、加害をする人たちがどれくらいいるのであろう。
意外と実害は少ない気がする。
では彼ら彼女らは何も求めているのであろう。
僕ら、私たちを認めてほしい?
いや、認めていますがな。
認めていますが、そのような性的少数者に嫌悪感を覚える人たちの気持ちは認めたくないのですね。
自分たちを怪訝な目や好奇の目で見ないで欲しいということかしら。
それはそれで傲慢なのではないかと思うのです。
圧倒的少数者を圧倒的多数者がそのように見るのは当たり前です。
自身も性的問題では無いのだがが過去に虐められていた経験を持つ。
個人的には大多数の他者とは明らかに自分は毛色が違うタイプの人間のようなので、これは疎まれるだろうなと理解をしていた。
虐めてきたヤツラに恨みつらみはあるが、それはそれで仕方が無い。
マイノリティにはマイノリティなりの生き方があるし、それは辛く苦しい道なのかもしれないが、それだからこそ得られるものも多いと思う。
何故に寛容をマジョリティ側に求めるのだ?
そこで自分たちから歩み寄るのではなく。
繰り返すがマイノリティはマイノリティなりの生き方をすれば良いのではないのか。
本当に大多数のマイノリティ(表現がおかしいのは許せ)はLGBTQなんてプラカードを掲げて、表面だけ繕って、LGBTQ擁護の仮面の裏で嫌悪と侮蔑の表情を浮かべているような、その改革を望んでいるのか?
そこらへんが自分がLGBTQに持つ違和感かしらね。